始めて過ごす蒜山の梅雨。
梅雨というとジメジメして蒸すようなイメージがあるのですが、ここ蒜山の梅雨は今まで住んでいた所の梅雨とは違って少し驚いています。
雨が少ないということではないのですがだいぶ気温が低いです。
ジメジメムシムシは無いので過ごしやすくて良いのですが、イメージと体感に大きなギャップがあってまだ自分が蒜山の自然のリズムに合ってないんだなぁと思う今日のこの頃です。
さて、早いもので蒜山耕藝のブログを始めてから7回目の投稿となりました。
今までの投稿は「思い」の部分が多く、かための内容だったので、今回から田畑のことも紹介していきたいと思います。
前々回、桑原くんが「たねのはなし」(http://hirugei.exblog.jp/16082861/)を書きましたが、一昨日、そのたね採りをしました。
桑原君が棒で叩いてたねをさやから出してます
それを水に浸けて重いのを選抜したもの。まだ緑のもありますね。
たね採りしたのは「土居分小菜」という菜っ葉。
私たちが住むところの近くで、古くから栽培されていた伝統野菜。今は湯原湖に沈んでしまった土居分という集落で、継がれていました。
厳しい寒さと深い積雪にも耐える土居分小菜。
「百日雪の下」という厳しい自然環境の昔の暮らしに思いを巡らせると、
「つくる」 「暮らし」
という僕自身がテーマとしていることにヒントを与えてくれます。
単に自家採種、伝統野菜というだけではなくて、
でもその辺は堅苦しい話なので今日はやめておきます...
この土居分小菜、
実は私たちが蒜山に来て初めて蒔いたものでもあり、初めてたね採りしたもの。
なので思い入れ大です。
そして思い入れだけでなく、蒜山耕藝の秋から春までの食卓を守る貴重な食べもの(積雪時は食材が無い!)なのでたくさんつくろうと思ってます。
昨年は1週間程播種が遅れてしまい、小振りなものしかできなかったので今年は遅れずに蒔かないと。
雪が降るまで収穫して漬け物にして、春の菜の花も浸けると美味いらしいので楽しみです。
こうやって自分達の食卓から作付けが決まるというのが蒜山耕藝の一つのスタンスです。
「春は菜の花が食べたいから9月になったら種を蒔こう」とか
「雪が降る前に白菜浸けたいから夏に蒔こう」とか
一見当たり前のことなのだけど、農業ということになると「食卓の需要」からではなくて「市場の需要」から作られるものも多い気がします。
そうなると作物は「生きもの」ではなく「商品」になってしまう。
蒜山耕藝としてはあくまでも「食べものは生きもの」ということを基本としたいと思っています。
その土地の自然のリズムに沿った暮らしの中でつくられる作物が基本で農法はその後です。
自分達は蒜山に移住してまだ10ヶ月程。
一番上にも書いたように自分自身がまだまだ蒜山の自然のリズムと合っていませんが、それはそれで当然だとも思っています。
植物も同じで千葉で桑原君が自家採種していた種もこちらではうまく育ちません。
自家採種を続けていくうちに植物がそこの自然に順応していくように、人間である自分達も口から自然のリズムを取り入れ、作物をつくる行為を通して、自然に順応していけたらと思っています。
ということで、結局かたい話になってしまいました。まだまだこれからの蒜山耕藝ですがよろしくお願いします。
書き終わったと同時に35歳になってしまった高谷裕治が今回の担当でした。
(フルネームなんとかならんかな...)